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森田茂 (洋画家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
森田 茂
(もりた しげる)
生誕 (1907-03-30) 1907年3月30日
茨城県真壁郡下館町[1]
死没 (2009-03-02) 2009年3月2日(101歳没)[1]
東京都中央区聖路加国際病院[3]
国籍 日本の旗 日本
出身校 茨城県師範学校[1]
著名な実績 洋画[1]
代表作 「黒川能[1]
「人形部屋[2]
「獅子舞の人々[2]
受賞 「金蔵獅子」(第2回文展特選[1]
「黒川能」(第9回日展文部大臣賞、日本芸術院賞[1]
「初秋」(1970年日本芸術院賞[4]
文化勲章(1993年[1]
選出 日本芸術院会員(1976年[1]
日展顧問(1982年[1]
文化功労者(1989年[2]
東光会会長(2004年[2]
活動期間 1934年 - 2009年
影響を受けた
芸術家
熊岡美彦[1]

森田 茂(もりた しげる、1907年明治40年)3月30日 - 2009年平成21年)3月2日)は、茨城県出身の、日本の洋画家

人物・来歴

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茨城県真壁郡下館町(現在の筑西市)に生まれ、東京都に住んでいた。文化勲章受章、日本芸術院会員、日展顧問、東光会会長、茨城県名誉県民、豊島区名誉区民、筑西市名誉市民。

原色を多用し、色を塗ったというより絵具を擦り付けたという様な、力強い筆致の重厚な画風が特徴である。初期の作品は、人形や人物の絵が多いが、1965年(昭和40年)の東南アジア巡遊後は風景画も多く描くようになる。1966年昭和41年)に偶然目にした山形県羽黒山地方の郷土芸能である黒川能に強く惹かれ、この黒川能を描き続けることをライフワークにしており、このシリーズの中の一作で1970年(昭和45年)の日本芸術院賞を受賞している。その他、舞妓を描いたシリーズなどもある。

略年譜

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脚注

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注釈・出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k 東京文化財研究所刊「日本美術年鑑」より:「森田茂」(2015年12月14日)、2018年10月5日閲覧。
  2. ^ a b c d ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 (2014). "森田茂(読み)もりたしげる". コトバンク. 2018年10月5日閲覧
  3. ^ a b 森田茂さんが死去 洋画家、黒川能描く 47news 2009年3月3日[リンク切れ] Archived 2013年12月12日, at the Wayback Machine.
  4. ^ 東京文化財研究所刊「日本美術年鑑」より:「昭和44年度(第26回)恩賜賞日本芸術院賞決定」(2015年11月20日)、2018年10月5日閲覧。
  5. ^ 『朝日新聞』1970年4月10日(東京本社発行)朝刊、14頁。
  6. ^ 筑西市名誉市民”. 筑西市. 2022年7月25日閲覧。
  7. ^ 茨城県名誉県民について” (PDF). 茨城県. 2022年7月26日閲覧。

外部リンク

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